犬と人と神 - Samsung URL
2012/10/05 (Fri) 23:30:14
エホバの証人の教えでは、エホバの神はここで誰か指摘しているように人格障害の人間のような神、キリスト教では神(の一部?)=人間イエス・キリスト。
神と比べれば自らは塵にも等しい存在、と自らを貶めて祈るのが大好きなキリスト教徒、JWですが、
そのわりには神を、非キリスト教徒、非JWではなく、選民思想の強い人格障害、ウツ病患者だらけのキリスト教徒、JWによく似た人間的な存在だと思いたいようです。
神は人間とは別次元の存在であって、神の思考を本当の意味で人間が理解できるでしょうか。犬が人間の思考を理解できないのと同じではないでしょうか。
もっとも、動物でも犬くらい知能が発達してくれば、犬なりに人間の思考を理解することはできるでしょう。しかしそれはあくまで犬の思考の範囲内にすぎない。
人間の思考では神を理解することはできない、というのが正しい認識です。分かった気になった人は、神を誤解しているというか、神を人間のような存在と思いたいのか、まあ犬が人間のことを分かった気になるのと同じようなものです。
神が自ら贖われるでしょうかヽ(´o`; - 晴臣
2012/10/09 (Tue) 02:32:56
よろしくお願いします。
「誰も神を知ることは出来ない」
これは正しい見解でしょう。
ゆえに、牧師神父長老。彼らは「詐欺師」に等しいと考えています。
所詮、宗教が解釈する神の定義を人に教えているにすぎませんからね。
え、カトリックやプロテスタントは翻訳に忠実に神の教えを説いている?
エホバの証人の「新世界訳」は改ざん聖書だのと吠えてはいても、新共同訳他、所詮3、4世紀にローマ国教として聖書が用いられた際、イエスを神格化する事は国益になる理由から、不益な聖書を外典として抹殺し、都合の良い正典を編纂してそれでも足りず「三位一体」の教理を刷り込むため聖書を「改ざん」しましたね。
その改ざん聖書を正しく?翻訳された書物こそ新世界訳以外の「信頼性の高いとされる聖書」である事を明記するべきでしょうね。
それでも、新世界訳は露骨に改ざんしている証拠がある
ゆえに「論外」デスがね。
その他の翻訳聖書に於いては聖書オリジナルが現存しないゆえに、突っ込み出来ない。
ただ、史実をたどれば現代の聖書はあらゆる改ざんがなされたゆえに旧約と新約の神の属性に大きな矛盾点が多過ぎる点をも指摘したいね。
神が人間イエスになり、十字架で肉の命を絶ち、自ら贖われたなどの馬鹿げた解釈をドヤ顔で教える連中は「インチキ宣教師」そのもの。
エホバの証人に至っては、イエスが死んで贖われたにも関わらず、エホバの証人にならなければハルマゲドンで滅ぼされるなどと宣う。
イエスの贖われた意味を呆れる程曲解していますね。
デタラメが混在する聖書を読んで、また其の解釈の多様性ゆえに、神を到底理解できるはずは有りません。
まさに作為的に外典として抹殺された「聖書」も含み、神を検証するべきでしょう。
ただ、オリジナルが存在しない限り、残念ですが想像の域はでないでしょうが。
ですから、宗教が人にデタラメな神の概念を刷り込む事はそれ自体マインドコントロールを仕掛けている事になります。
ただし、其れを心の拠り所にする人に脱会を勧めるのは正しくないかも知れませんね。
Samsung様、また何かテーマにお話したいですね。
人をばかにすれば,ばかにされるだけ - possible URL
2012/10/10 (Wed) 02:32:35
晴臣さん>
まあ,「何を言っても自由」だとは思うんですけどね,
統治体と同じく,間違った観点で
三位一体を攻撃しても「無意味」ですよ。
私は何度も,この掲示板において
そういうやり方は「ストローマン」だ
と説明してきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ストローマン
「統治体と同じやり方」を用いるのは,
単に統治体とは意見が異なるというだけのことで,
統治体と同じく,「害」になります。
> 神が人間イエスになり、十字架で肉の命を絶ち、
> 自ら贖われたなどの馬鹿げた解釈を
> ドヤ顔で教える連中は「インチキ宣教師」そのもの。
私自身,三位一体を「信じておりません」し,
イエスを,文字どおり「神」だと考えるのは
「人物崇拝」(個人崇拝)だと考えます。
ただし,三位一体論をばかにすることはありません。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-63.html
晴臣さんは,申し訳ありませんが,
統治体と同じく,三位一体のことを
「よく知りもしないで」攻撃してる
と私個人は感じます。
あなたが攻撃してるのは,主に
三位一体論者から「異端」と呼ばれている考えです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/サベリウス主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/天父受苦説
よく知らないのなら,
攻撃を「慎むべき」です。
でなければ,あなたが「インチキ宣教師」
と述べてる人たちから,反対に
「ばかにされ」ますよ。
人をばかにすれば,ばかにされるだけです。
そもそも,人間の小さな頭では
神は「説明できない」(説明不能)と考えるから
彼らは三位一体を信じてるのですよ。
神のことを,むしろ,分かったようなふり
をして説明してるのがエホバの証人です。
Re: 犬と人と神 - Samsung URL
2012/10/11 (Thu) 01:16:16
バチカンには聖書写本の原本が眠っているそうですが、
少なくともそれを公開してもらいたいです。
日本の宮内庁が、日本各地の古墳等を発掘させないのと同じで、わざわざ都合の悪い真実を明らかにさせることなどないのかもしれませんが。
Re: 犬と人と神 - Samsung URL
2012/10/11 (Thu) 01:37:21
そもそも、
JWだけとかキリスト教徒だけとかを救ってあとは滅ぼす、などというチンケな神を偉大で崇高な存在などと思い込んだのが間違いのもとであったと思います。
善人だけを救うとか、神はそんな矮小な存在でなく、そもそも人間の言う善も悪ももとは神のものであって、すべてを包含するのが神です。
すべてを創造したのが神であるとすれば、被造物であるサタンだとか悪魔だとか悪人だとかと宇宙論争だとかで対立して、最終的には自分の気に入らないそういう連中を滅ぼす、という身勝手な神を崇拝の対象とする、というおバカな空想毎が今となっては本当にバカバカしく思えます。
そんなくだらないことを本気で信じるくらいなら、無神論、無宗教の方がよほどマシ、正常と思います(無論、そういう「狂信」も、「狂信」を信じる自由も、もとは神に行きつくのでしょうが)。
すべてを創造した神が存在するとすれば、神はすべての根源、聖書に書いてある通り善人にも悪人にも何の差別もなく太陽は光輝く、永遠に等しい時間を経ることはあってもすべては究極的に神に帰し(というか今現在もそう)、すべてのものは救われる(すべては神なのであって過去も現在も未来も既に救われている)、
というのが私の「神」認識です。
Re: 犬と人と神 - Samsung URL
2012/10/11 (Thu) 01:50:50
ここにあるように、
http://www.geocities.co.jp/bookend-Soseki/8769/memo/j-love.htm
今の私にとっては、JW、キリスト教、その他大多数の説く「神」は、自画自賛で「愛ある神」とどの宗教も説くことはあれ、実際には全く愛のない、人格障害、神経症、自閉症の神であると思います。
そのような神は、人間の想像の産物です。
本当に神がいるとすれば、すべてを包含し、すべてを許し、すべてを救うのが神です。
あるいは、そのような神も想像の産物にすぎないかもしれません。人格障害の神を本気で信じるより、無神論のほうがよほどマシでしょう。
Re: 犬と人と神 - Samsung URL
2012/10/11 (Thu) 02:05:26
晴臣様は、「イエスによる贖い」については未だに肯定されるのでしょうか?
私はもはやそのような概念は受け入れられません。
なぜ、彼は「人類の罪を購う」必要があったのでしょうか?現代では受け入れられない、未開文明でよく行われていた「生贄」的な風習にマッチするものでこそあれ、
人知を遥かに超えているはずの「神」あるいは「神の(ひとり)子」が、何故に現代の人間ですら受け入れられない、未開の民族や太古の現代からみれば野蛮な風習を当然のごとく行っていた時代の人間の意識レベルに堕ちてしまうのでしょうか。
そもそも、罪を犯したのが人間とすれば、その罪は犯したその人が弁済するべきもので、誰かに代わって「贖って」もらうなんて虫が良すぎませんか?
そういう虫のいい、都合のいい神を作り上げて自分の都合のいい世界観の裏付けに用いたい、というだけのことなのでは。
ストローでビールを飲むと酔いが早い - 晴臣
2012/10/11 (Thu) 06:12:17
possible様、
色々な説教どうもありがとう。本音の会話は実を生みます。
ただ、ストローマンをあまり連呼すると、逆に相手を無知だと言わんばかりの攻撃になり、「人をばかにすれば、ばかにされるだけ」が、自分に反って来ますので御気をつけください。
三位一体については私なりに研究しています。
判りやすい絵本のように端的に否定しただけで、裏付け無く否定するほどクレイジーでは有りませんよ(笑)
それと、三位一体をばかにするしないの考え方は持った事有りません。「否定」と「ばかにする」は違います。
ただ、語調が厳しいのでそのようにとられたので有れば、ご指摘には感謝いたします。
ご意見番も兼ね、また色々と教えてくださいね。
あえて不可知論の立場をとります - 晴臣
2012/10/11 (Thu) 06:25:32
Samsung様、よろしくお願いいたします。
>バチカンには聖書写本の原本が眠っているそうですが、
有る本で読んだんだ事有りますが、黙示録のとんでもない終末論が明かされているとも言われています。グノーシスに傾倒する部分を削除或は改ざんして正典に編纂したのかもしれませんね。抹香臭い外典にも神の秘密が明かされていて、その種の原本は完全封印しているのでしょう。
>全てを包含するのが神です。
私はそうは考えていません。そうで有ればいいなとは思いますが。
外典の一部には輪廻を説いてます。元々霊者であった者が何度も肉の体を持って誕生している、、この三次元の世界に私たちに対する何らかな神の目的が有るような事が示唆されています。イエスは何度もパラダイスを言ってますが、文字通りそれは霊の領域で有る天で有り、この物質宇宙は霊者の試練や経験の場で有るかの想像もさせられる内容です。
もしそうなら、物理的苦痛の無い「天」は文字通りパラダイスかも知れませんね。
>今の私にとっては、JW、キリスト教、その他多数の説く「神」は、自画自賛で.......そのような神は、人間の想像の産物です。
私もそのように解釈します。
愛有る神とは、本当は我が子を戦陣の谷(物質宇宙)に投げ込む親の心境かも知れません。あくまで想像ですがね(笑)
>「イエスによる購い」については未だに肯定されるのでしょうか?
正直わかりません。
「そのような概念は受け入れられ」ない。と言われるSamsung様にも同調いたします。
肉の体で生まれおちたその時点で罪を犯している? 迷惑な話だ!と言いたい。アダムの罪が末代まで祟ると言う事ですかね。イエスの購いがそれを断ち切ったので有れば、最早信仰など価値もない。要らない訳です。
ただ、「罪」の概念を「物理的筐体」に当てはめるならどうでしょう。霊者は飢える事無いが人は飢え苦しむそして盗む。霊者は殺ろす事出きないが人は憎しみ殺し合う。肉の体を持つ事は潜在的罪を背負っているとでも言いたいのでしょうかね。
また時々お話しましょう。色々質問してみたい事も有ります。
営業で出会った「ネガティブ」な人々 - possible URL
2012/10/11 (Thu) 12:10:45
晴臣さん>
今日は仕事が休みなので,
昼間に返信しますね。
> それと、三位一体をばかにするしないの考え方は
> 持った事有りません。
> 「否定」と「ばかにする」は違います。
なるほど。
それならよろしいかと思いますが。
しかし,もし,「三位一体」を
ばかにしてるのでなければ,
「三位一体を信じてる人」をばかにしてませんか?
私がすでに引用したあなたの文章を
もう一度引用してみますよ。
> 神が人間イエスになり、十字架で肉の命を絶ち、
> 自ら贖われたなどの馬鹿げた解釈を
> ドヤ顔で教える連中は「インチキ宣教師」そのもの。
「馬鹿げた」「ドヤ顔で」「連中」「インチキ」
とあなたは言っておりますが。
これらは,人をばかにする時の表現ですよ。
私自身が,この掲示板でも
人とけんかをする時は,こういう言い方になります。
また,「統治体」を表現する時には,
私の表現もまた,こんな感じになります。
私はしょっちゅう,「ニセモノの油注がれた者」
という表現を用いますから。
ま,晴臣さんは,「インチキ宣教師」たちに
「怒ってる」(義憤を抱いている)
ということなのでしょう。きっと。
ところで,私は,彼ら(牧師)を
擁護するつもりはありません。
私は昔,飛び込みの営業をしてたことがあり,
必然的に,いろんな宗教の人に出会いました。
(私は,「万」単位の人間に出会ってます。)
私に好意的に接してくれた宗教は,
「創価学会」「エホバの証人」「生長の家」。
反対に,ことごとく“ネガティブ”だったのが,
「キリスト教会の牧師」「幸福の科学」です。
キリスト教会の「牧師」に関しては,
どこの土地に営業にいっても,
「ことごとく」(例外なく)不親切で,
話も聞いてくれませんでした。
(「どこの土地に行っても,例外なく」
という部分がポイントです。)
私にとっては,一番印象が悪い宗教です。
私の「経験」が,私にそう語りかけるのです。
こういう「経験」は,よっぽどのことがない限り,
くつがえらないだろうと思います。
ま,世界中のどこかには,
「例外」もあるのでしょうが。
Re: 犬と人と神 - Samsung URL
2012/10/11 (Thu) 21:38:31
晴臣様
>>全てを包含するのが神です。
>私はそうは考えていません。そうで有ればいいなとは思いますが。
>外典の一部には輪廻を説いてます。元々霊者であった者が何度も肉の体を持って誕生している、、この三次元の世界に私たちに対する何らかな神の目的が有るような事が示唆されています。イエスは何度もパラダイスを言ってますが、文字通りそれは霊の領域で有る天で有り、この物質宇宙は霊者の試練や経験の場で有るかの想像もさせられる内容です。
もしそうなら、物理的苦痛の無い「天」は文字通りパラダイスかも知れませんね。
全てが神、という考えは、汎神論で特に目新しいものではなく太古の昔から地球人類においても多くの思想家等が唱えてきたものと思います(無論、受け入れる受け入れないはその人の自由です)。
もっとも、カトリックは確か「神の遍在(神はあまねくどこにでも存在する)」を説くので、似たようなものかもしれませんが。
イエスの本来の思想は、現在の正統とされるキリスト教とは似ておらず、むしろ正統キリスト教に抹殺されていった異端や、インドの思想に近いものと思います。
聖書に記述のないイエスの青年時代、インドやエジプトでエリート教育を受けたとする話は多く聞かれます。無論、歴史的証拠があるかというと、イエスの他の業績についてと同様、ありませんが。
イエスの人物そのものを知っていた人がまだ多数いた時代には、イエスを神そのものに祭り上げる人はまだそんなに多くなかったのではないかと私は思います。
輪廻と汎神論は特に相容れないものではないのではないでしょうか。
仏教でいう輪廻転生と、いわゆる転生とはだいぶ異なるものと思います。仏教でいう輪廻転生は、外典であってもないのではないでしょうか?あれば教えてください。
転生であれば、現在の聖書の記述からも、そのように解せるところは多数あると思います(無論キリスト教やJWは認めません)。
他人を責めたり、他人を攻撃するのではなく、まず自らの内に目を向けよ、神の王国はあなたがたの中にある、
そういったイエスの言葉は、人はもともと全ての人が神の分霊であり、すなわち神の一部であるといった考えと矛盾しないどころか、まさにそのものの教えです。
>>今の私にとっては、JW、キリスト教、その他多数の説く「神」は、自画自賛で.......そのような神は、人間の想像の産物です。
>私もそのように解釈します。
>愛有る神とは、本当は我が子を戦陣の谷(物質宇宙)に投げ込む親の心境かも知れません。あくまで想像ですがね(笑)
この世の労苦を自ら体験し、自らの血肉とすることで人は大成し、人の労苦も理解できるようになる、
そのようなことは、古今東西言われてきたことであり、今でも我々みな体験で実感していることです。有神論であろうが無神論であろうが、宗教を信じようが信じまいが同じです。
神は、ありとあらゆる概念を知ってはいるが、神だけでは体験のしようがないので神自身を分割しこの世を創造した、そのような考えもありますが、実際どうなのか分かりません。
しかしながら、この世の労苦がなければ、我々は人として向上進化し、霊性を研ぎ澄ませることもありえないでしょう。
>>「イエスによる購い」については未だに肯定されるのでしょうか?
>正直わかりません。
「そのような概念は受け入れられ」ない。と言われるSamsung様にも同調いたします。
肉の体で生まれおちたその時点で罪を犯している? 迷惑な話だ!と言いたい。アダムの罪が末代まで祟ると言う事ですかね。イエスの購いがそれを断ち切ったので有れば、最早信仰など価値もない。要らない訳です。
>ただ、「罪」の概念を「物理的筐体」に当てはめるならどうでしょう。霊者は飢える事無いが人は飢え苦しむそして盗む。霊者は殺ろす事出きないが人は憎しみ殺し合う。肉の体を持つ事は潜在的罪を背負っているとでも言いたいのでしょうかね。
また時々お話しましょう。色々質問してみたい事も有ります。
今の私にとっては贖罪思想は、単なる荒唐無稽な絵空事でしかなくなりました。
possible様、 - 晴臣
2012/10/13 (Sat) 07:55:57
>「インチキ宣教師」たちに「怒ってる」ということなのでしょう。きっと。
その通りです。彼らを糾弾するためなら表現に於いて手段は選びません。
例えば、怪盗ねずみ小僧のように、悪人から金銭を奪って弱きに与える...というスタンスです。
この掲示板に来るのはその目的の一貫です。
それ故に、敵を作りやすいが全く気にはしていません。
エホバの証人の幹部を糾弾しても末端のなにも知らない真面目な信者まで容赦無く悪く言う人は許せませんね。あと、脈絡無く掲示板荒らしに来る匿名(ひょっとこ)の類いです。(笑)ただ ’’口を尖らせ’’ 毒舌を浴びせるだけの輩ですね。ひょっとこはそこから命名しました。怒っていてもユーモアは忘れません(笑)
仕事の営業で宗教家とコンタクトし、そこから得た「経験」は貴重です。そこに貴方の思考ベースが有るのでしょう。私もそうですが、そういった「人生経験」から得た「結論」は誰も批判しては行けません。
例えば、
>キリスト教会の「牧師」に関しては......私にとっては、一番印象が悪い宗教です。
それは違う!と言う人は「possibleさんの何を理解してそう言うのか」と言う事。
「貴方にとってはそうなんだね」これが正しいコミュニケーションの形でしょう。
知識と経験を生かしてこれからも有益な情報をご提供くださいませ。
Samsung様、 - 晴臣
2012/10/13 (Sat) 08:03:47
>聖書に記述のないイエスの青年時代、
イエスの青年時代や幼少時代は、外典の記述に有りますが、正典でも想像出来る通り「こましゃくれた悪ガキ」でした。
この頃から特殊な奇跡を起こしていたそうで、近所の子供に悪戯されると特殊能力で報復していたそうです。物心付かない頃は邪険で嫌われ者がたそうです。
このような巻物が正典に編纂される筈無いですね。神としてのイエスの威厳がそこなわれます。(笑)
輪廻転生 仏教の類いと違うのは、イエスはバプテスマを受け「天が開けた」つまり、天でのご自身の記憶を思い出された訳ですが、外典でイエスが言った天では霊者は神がそうで有るように、男形だそうです。そうした記述からも、人は死んで天に戻る時あらゆる記憶を取り戻す(思い出す)事が想像出来ます。聖書が誕生よりも死を重視している点からも整合します。
転生、つまり肉の筐体を着けた霊者は歴史に於いて何度も新しい別の記憶を経験する。
ハデスやゲヘナ、これは生まれ変わりとも何らかな関係を示唆しているものかも知れませんが正典だけでは実に曖昧模糊です。
「神の王国はあなたがたの中にある」たかが人生80年、死んだらしまいならこんな言葉、チンケにも程が有る。何を哲学させようとしているのか?
霊者としての永遠の命。これがテーマで有れば、イエスのこの言葉にはあらゆる意味が内在していると考える方がまだ自然だと思います。
Samsung様は人はやはり死んだらしまいだとお考えですか?
このようなテーマ、エホバの証人と絡めゆくり検証してみたいですね。
Re: 犬と人と神 - Samsung URL
2012/10/13 (Sat) 17:56:27
ナグ・ハマディ文書だったか、死海文書だったか、
イエスはエッセネ派という清貧集団に属していたそうですが、エッセネ派は確か転生を信じていたのではないでしょうか。
聖書にも、エリヤの生まれ変わりであるとか、エリヤは既に来た、という表現があります。
仏教等の説く輪廻転生では、人の大多数は悪いことばかりするので、次の転生では人間に生まれ変われることは稀、人に生まれ変われる人はおよそ善人としての人生を全うした人、ごくたまに、聖人のような人が、輪廻転生の輪を脱して、もう地上に生まれ変わることのない上の界に行く、という感じではなかったでしょうか。
人が動物に生まれ変わるとか、動物が人に生まれ変わるといった思想は初期クリスチャンや古代イスラエル等にはない教えと思います。
もっとも、物質界において元は人類は現代の猿と同じ種族だったのですから、霊的に特別に進化した動物が人間に生まれ変わったり、退化した人間が動物に生まれかわる、ことがあってもおかしくないかもしれません。
仏教とか、インドの思想等でよくいわれる、カルマ、前世での悪行により今世で苦しむ、といった考えは、聖書でいえば、ヨハネ7章の生まれつきの盲人の話においてもみられます。
トマス福音書では、転生思想とみられる表現がもっと多いのではないでしょうか。
>Samsung様は人はやはり死んだらしまいだとお考えですか?
正直なところ、死ななければ分からない、と言ってみれば身もふたもないのですが、しょせんいくら本等を読んでも、物質界に縛られ五感に頼ってしか物事を判断できないのですから、死後のことだとか霊のことは本当には分かりません。
ただ、人間に限らず生物を生物たらしめているのは、無機的な物質の体の構成を超越した何かがあるのだろう、とはなんとなく思います。
いくら自然科学が進歩しても、生命の本質は分からないのではないでしょうか。自然科学だと、人間の心や思考能力も、結局は物質の細胞が寄せ集まってできた脳の機能によるものにすぎない、ということになるのでしょうが、もちろんそのようなことは「証明」されてはいませんし、生物を生物たらしめているのは、物質の肉体を超越したものによると私は思います。
個人的には、若い時に交通事故で、自分の傷ついた体を外から眺める、幽体離脱のような体験をしたことがあるので、実体験からそういった話にも特に抵抗は感じません。
イエスの教えが、短期間であれほど広まったのは、優れた教えを説いたこともあったでしょうが、やはり卓越した霊能力の業によるものと思います。特に癒しの業は、人々に訴えるものがあったでしょう。
若いころは、多少悪いことにも使ったのでしょうが、大人になってから、聖書に載っている年代になってからは、よくいる霊能者とは違って自分の名声を高めるためとか、金儲けのために能力を用いてないと思います。もしそういうたぐいの霊能者であれば、あんなにあっさり官憲に捕まって殺されることなどないでしょうから。逃げようと思えば簡単にできたと思います。
復活の業も、父なる神とかエホバにもう一回肉体を作ってもらった、というよりは、自身の霊能力を駆使した結果じゃないか、と思います。
歴史的にも、非常に優れた霊能力をもつ人がイエスの復活と同じような業をなしたという話はあるようですし、現在でも特別な修行等を積んだ人は、幽体離脱して世界中の至るところに飛んでいったりできると聞きます。
いずれも、ものみの塔的世界観が抜けきれない人にとっては、まず最初から生理的に受け付けられない荒唐無稽な話かもしれませんがね。
Re: 犬と人と神 - GB
2015/01/30 (Fri) 22:15:27
>「誰も神を知ることは出来ない」
>これは正しい見解でしょう。
>
>ゆえに、牧師神父長老。彼らは「詐欺師」に等しいと考えています。
>所詮、宗教が解釈する神の定義を人に教えているにすぎませんからね。
あなた達は、神が受肉して人間の姿でこっち(人間界)に来てくれるという
希望を否定しますか?